現在注目を集めるアドラー心理学、
その真髄は「嫌われる勇気」だといいます。
我々日本人は、どちらかというと
どうすれば人に嫌われないか?と
人に嫌われず、なるべく人に好かれるように
教育され、今まで育ってきています。
その考え自身が、人を苦しめ
生きにくい世の中にしています。
この考えを根本から覆すのが「アドラー心理学」です。
中でも、心理学者アルフレッド・アドラーは
トラウマの存在を否定し、
「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」
と断言しています。
日本人が現在「これほど豊かなのに幸せと感じない」
秘密と解決策が、ここに眠っているのかもしれません。
心理学者アドラーとは
アルフレッド・アドラー(1870年2月7日-1937年5月28日)
アルフレッド・アドラーは、オーストリア出身の
心理学者・精神科医です。
かの有名なフロイト博士やユング博士と並ぶ、
精神医学・心理学界の巨人の1人。
1870年に生まれ、アドラー心理学という流派を創始し、
1937年(67歳のとき)にその生涯に幕を閉じました。
アルフレッド・アドラーは彼が46歳の時に
第一次世界大戦に召集され、そこで軍医として、
多くの神経症の患者の治療に携わることとなります。
患者とのやり取りの中で、彼は共同体感覚
(個人の心と心の繋がり)こそが最も大切
だと感じ始め、その考えがアドラー心理学の
基礎となっていきます。
アドラー心理学の求める本質とは、
「人は変われるのか」
「幸せとは何か」
「自由とは何か」
を軸とした、人の心の求める
本質に迫る心理学です。
アドラー心理学が一般化しなかった理由
我々が知る心理学として有名なのは
フロイトとユングの心理学です。
心理学を専攻すれば、必ずと言ってもいいほど
フロイトとユングを学びます。
では、なぜアドラー心理学が
一般化しなかったのでしょうか?
アドラーの心理学はあくまで「個人心理学」であり、
専門家の学ぶ心理学ではなく、みんなの心理学であるため
一般化しなかったのだと言います。
つまりアドラーの説く心理学は業界の中では
異色の存在であり、アンチアドラー派も沢山いたのでしょう。
アドラー心理学は、より我々の生活に密着した心理学ということで
現在再注目されているのかもしれないですね。
『嫌われる勇気』が100万部を突破
「嫌われる勇気」には何が書いてあるのか
簡単にご説明します。
嫌われる勇気には、
「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という
哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な
“答え”を提示しており、
哲学者:哲人と青年の対話形式で
心理学初心者でも分かるように
「アドラ−心理学」とは何かを
明解に解読するような形で話が進められます。
本当はもっと頑張りたいのに頑張れない人
やればやるほど幸せが遠のいている気がする人
つい、誰かのせい、環境のせいにしてしまう人
精神的自由を求める人
社会に疑問を持っている人
きっと読んだ後、「ああ、自由でいいんだ」という
安堵の気持ちと、深い納得を得られることでしょう。
今までとは全く違う考え方が共感を集めている
フロイトは「人間の本能はコントロール出来ない」と説きましたが、
アドラーは「人間には決断の自由がある」と説いています。
どちらの考えも正しく間違っていませんが、
より自由と幸せを求める現代において
アドラー心理学は、より現代人の求める考え方に
フィットしてるのだと思います。
昔は、閉鎖的で単一化しており、
単純に人に選択権がなかった。
現代は、オープンで広域化しており、
誰でも選択できる自由がある。
時代の移り変わりとともに
求められる思想も変わるのも当たり前と言えそうです。
ここからはアドラーが説く
代表的な考え方をご紹介していきます。
「承認欲求を持つな」
「自己肯定するな」
「子どもは褒めても叱ってもダメ」
「現在の自分が不幸なのは、実は自分で不幸であることを選んでいるから」
「新しいライフスタイルを選ぶ勇気(嫌われる勇気、幸せになる勇気)
が足りていない」
「劣等感を持つのは正常。劣等コンプレックスがいけない」
「健全な劣等感は、他人との比較からではなく、
理想の自分との比較から生まれる」
「我々は他者の期待を満たすために生きているのではない」
「あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に
土足で踏み込むこと、あるいはその逆」
「他者の課題を自分の課題のようにして生きると自由と幸せを失う」
「自由とは他者から嫌われること、嫌われることを恐れないこと」
「人が働くのは他者貢献のため、自分はここにいてもいいんだと確認するため」
「普通であることは無能なのではない」
「人生における最大の嘘は『いま、ここ』を生きないこと」
「他者貢献し『いま、ここ』を毎日真剣に生きることが幸せである」
自分が変わるための心理学
アドラーは、
人は誰しも客観的な世界に住んでいるのではなく、
自らが意味付けを施した主観的な世界に住んでいる
と言っています。
アドラー心理学は、「原因分析」をするのではなく、
「自分は何をしたいのか?」「何をすればいいのか?」と、
自らの心と現実的な行動のことを徹底して考える心理学です。
全ての悩みは人間関係にある
アドラー心理学の考え方で大前提となるのは、
「全ての悩みの根源は”人間関係によるもの”である」
というものです。
劣等感についても
バッサリ言い切ります。
我々が抱える劣等感とは、
「他者との比較」から生まれるものであり、
「対人関係の悩み」である。
そして、もしもこの世界に自分以外の
誰ひとりも存在しなければ、
あらゆる悩みはなくなってしまうのです。
つまり、他者がいるからこそ人は頑張れる。
他者がいなければ、自由も幸せも
存在しない、生きている意味すらないとも言えます。
私たちは普通、劣等感を否定的に捉えますが、
それは正常で健康なことなのだといいます。
私たちは永遠に成長や進化を望む生き物だからです。
もしも人に劣等感という感情がなくなれば、
私たちは進化そのものを望まなくなります。
出来ないから、何倍も努力しようと
頑張ることは素晴らしいことです。
これが「劣等感」です。
この考え自体は正しいものなのです。
しかし、
「○○だから△△出来ない」
という考えは、「劣等コンプレックス」といい
劣等感を言い訳に使ってしまっている、
誤った考え方です。
これはあなた自身が勝手に決めたことであり
正しい考えではないと言います。
その本質には「本人がやりたくない原因」が潜んでおり
それを言い訳にしてしまっているそうなのです。
実は、
「本当に出来ないからやれないのではなく、
やりたくないから○○というものを
その言い訳に使っているに過ぎない」
のです。
これは典型的な言い逃れであり、
人生への逃げの考え方なのです。
これをアドラーは「人生の嘘」と言っています。
これは自分が言い訳を言い出した時、
改めて考え直してみたい興味深い心理です。
承認欲求を否定
人は誰しも他人に認められたい
という欲求を持っています。
それを承認欲求と言います。
アドラー心理学は、その承認欲求に
基づいた行動を否定しています。
なぜ、アドラーが
承認欲求を否定するのかといえば、
承認欲求とは、
「人に褒めてもらい、報酬を貰うために良い行いをする」
という考えに基づいているからです。
しかし、この考えでは
「褒めてくれる人がいなければ適切な行動をとらない」
「罰する人がいなければ不適切な行動もとる」
という危険性もはらんでいるのです。
人は本来、他人の期待を満たすためだけに
生きているわけではありません。
他人の承認ばかりを優先するような行動は、
結果的に自分が本来やるべきこと
(自分の人生の課題)に没頭できなります。
このような人生は人として自由とは呼べず、
幸せな人生ではありません。
誤解しないでいただきたいのは、
承認欲求を持つことや、
承認されることそのものは悪くないということです。
人として認められるということは
本当に素晴らしく掛け替えのない事です。
その時は素直に「ありがとうございます」と
そのありがたい言葉を存分に受け取るようにしましょう。
トラウマは存在しないという考え
アドラー心理学はトラウマの存在も否定しています。
通常、心理学上では幼児期に受けた心理的な傷(トラウマ)が
原因で、大人になっても好ましくない状態を引きずるという
のが一般的になっています。
しかし、そのトラウマが原因でその後の人格が決定されるなら、
幼児期に虐待を受けた子供は全員問題行動を起こす
大人にならなければおかしいのです。
実際は、問題を起こす人もいれば
反面教師と取り、全く問題にならない人もいる。
つまり、幼児の体験をどのように解釈し、
どのように意味付けていくかは、
人それぞれなのです。
「過去の傷がトラウマになって
引き籠もりになっている。外に出られない」
というのは、本人がそのように生きることを
選択しているにすぎないとアドラー心理学
では言っています。
「不安だから外に出られない」のではなく、
「外に出たくないから、不安」という
感情を自ら作り出しているのです。
人から嫌われることを恐れない
この社会の中で悩みながら生きる私たちに
アドラーが示したそのひとつの答えは
「嫌われる勇気を持つ」ということです。
人から嫌われるということは、自分が自由に生きるために
支払わなければいけない代償であり、それが自分自身が
自由に生きていることの証にもなります。
すべての人に好かれようとする人生は
素顔の自分ではなく、偽りの自分を演じる
ことになるので全く自由ではないのです。
他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり
気にしていると、最終的には
「他者の人生を生きること」になってしまいます。
「自分の信じる最善の道を選べ」
いまやろうとしていることは誰の課題なのかを自分で考え、
もしもそれが他人の課題であれば、考えることを止める
勇気を持たなければなりません。
そして、自分の課題だけに集中するのです。
誰かの課題をその人に好かれるためだけに
やるというのは愚かなことです。
自分の課題か他人の課題かを判断する「課題の分離」
をして、「嫌われる勇気」を持つことが大事なのです。
嫌われる勇気を持つときの5つのポイント
1.他人からの評価を気にしない
自己満足でいいので、他者にどれだけ
貢献できているかを基準にする。
2.自分の価値観をハッキリさせる
どんな行動をとっている自分が好きか?
自分を棚卸しして考えてみる。
3.他人を変えようとしない
他人をコントロールしようとせず、
相手も受け入れて尊重する。
4.「いま、ここ」を大切にする
課題の分離をして、
自分の課題だけに集中する。
5.自分と他人とを比較しない
比べるなら昨日の自分と比較する。
ありのままの自分を受け入れる
「自分は100点満点で20点なのかもしれない」となったら、
まずは「私は20点である」という事実を素直に受け入れて、
そこから出発しようという気持ちが大切です。
人は通常、100点満点で20点だと、
がっかりするか、良い気分ではないものです。
では、なぜがっかりするのでしょうか?
これもやはり「他者と比較する」からです。
もしも他者と全く比較をしないのならば
たとえ100点満点で20点でも、
ああそうなんだとしか思わないはずです。
そしていつか100点満点を取れるように
努力をしようとなるのが健全な考え方です。
ここでアドラー心理学では、本当は出来ないのに
出来ると言い聞かせる「自己肯定」を否定しています。
ダメな自分も受け入れる(自己受容)ことを
しながら前に進むことを推奨しているのです。
出来ないことは別に悪くないですし、
普通であることは無能なのではないのです。
他者と比較しない、落ち込む必要はありません。
それはただ単に経験不足であったり、
そのもの自体が向いていないだけなのです。
あなたの最も向いていること
(自分の課題)だけに集中しましょう。
他者への貢献に集中する
アドラーは、
「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」
と言っています。
上下関係ではなく横の関係でつながり、
「いま、ここ」に生き、自らの主観によって
他者への貢献ができれば幸福でいられると説いています。
また、アドラーは、
そのことを誰になんと思われようと、
まず自分から始めることが大事だ。
目に見える貢献ではなくても、自分は誰かの
役に立っているという『主観的な貢献感』を
持てれば、幸福になれる。
承認欲求を通じて得られた貢献感には
自由がなく、幸福にはなれない。
とも言っています。
行動を他人に好かれることを前提にせず、
たとえそれが嫌われることになっても、
自分のやるべきことを主体的に決めて
やり抜くことが自由と幸せの道に繋がるのですね。
【アドラー心理学がNHKでも特集に】100分de名著 アドラー「人生の意味の心理学」動画
第1回 人生を変える「逆転の発想」
第2回 自分を苦しめているものの正体
第3回 対人関係を転換する
第4回 「自分」と「他者」を勇気づける
嫌われる勇気を持って真の自由と幸せを獲得せよ!まとめ
- アドラーの伝えたい「嫌われる勇気」とは、何の分別もなく人に嫌われてもいいから好き勝手してもいいのではない。そんなのは単なる子供のワガママにすぎない
- たとえ反発を受け、人に嫌われてでも、今まで自分の人生で培ってきた哲学(過ちの中から学んだ自分なりの気付き、人に役立てること)で勇気を持って他者に貢献することだと思う
- 今までの日本の教育では争いごとは好まないという風潮と、年功序列、学歴社会から、他者のご機嫌取りをして自分を犠牲にする人間関係が当たり前だった
- その生き方では相手も全く成長せず、自分も成長しないどころか自由と幸せを奪われるという、全く不毛の人生になってしまう
- これから私たちがまずやるべきことは「自らの人生の課題は何なのかを真剣に見つめ直す」こと
- 他者の課題のためだけに生きず、自らの課題に全力を注ぎ、結果、他者貢献すること
- それが自分を自由に幸せに、また他者も社会も豊かに幸せにすることへ繋がる
- アドラー心理学では、我々一人ひとりが直面する「人生のタスク」というものがあり、仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスクという、避けては通れない課題(タスク)がある
- アドラーによれば、人が自立するためには2つのポイントがある。一つは「叱らない」ということ、もう一つは、「甘やかさない」ということ
- 自分の子供がいくら可愛くとも、親はその子の成長を根こそぎ奪うような、その子自身の課題に首を突っ込んではいけない
- 一見、アドラー心理学は冷淡冷酷で切り捨てるかのような考え方に見えるが、「甘え、甘やかし」こそが最も残酷な仕打ちだという事実を受け入れよう
- どんな人にも、それぞれの人生の課題というものがあり、年齢、性別、外見、経験、学歴などを問わず尊敬すべき存在である
- どんな人でも「尊敬」という視点で見れると「敵」とは見えず、友や仲間と見える
- 相手が尊敬の対象ならば、どんな人からも学べる
- 他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられるような感覚(共同体感覚)を持つ
- アドラーは、「自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる」と言っており、ここでいう「勇気」とは「対人関係の中に入っていく勇気」のこと
- 劣等感があるからこそ、現状にたいしての欠乏感があり、それを克服してよりよい状態にありたいと思うからこそ成長ができる
- 人は「ライフスタイル」を自ら選んでいる。いま選んでいるライフスタイルで不幸ならば、性格、思考パターン、人生観をもう一度選び直せばいい
- 承認欲求を振り切り、人から嫌われる勇気を持ち、自分の生き甲斐に没頭して他者貢献できた時、人は真の自由と幸せを体感する
- 自分の仕事も自分の人生の意味、自分の人生の課題と照らし合わせて選び、毎日「いま、ここ」に生きてこそ、真に自由で幸せな素晴らしい人生を送れるのではないだろうか
- 人生は自分が考える以上に短いもの。毎日「いま、ここ」に生ききれる素晴らしい人生を送りたいものです
↓ 今回の記事のマインドマップはこちら
【嫌われる勇気まとめ】難しいアドラー心理学を簡単に理解するMindMap
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