この言葉はアメリカの媒体に掲載されていた
「武士道の言葉」を、再度日本語に翻訳し直した
武士道精神の逆輸入版ともいえるものです。
なぜ武士道の書籍が海外で出版されたのか?
その理由は外国人からみたら理解できなかった
武士の精神と行動を、深く理解してもらいたかった
からと言われています。
読むと分かりますが、その言葉の真意は
決して軍国主義的なものではなく
誰よりも平和を愛していること
ノブレス・オブリージュ
「高貴なものは、身分に相応しい
振る舞いをしなければならぬ」
という名誉と誇りの元、
生きたサムライ魂がありました。
その崇高な武士道の精神は、
あのアメリカのルーズベルト大統領や
ジョン・F・ケネディ大統領にも
深い感銘を与えたといいます。
現代の日本人が忘れてしまった
日本人の気高くも美しい誇りと強さがここにあります。
こんな心構えの男達が現代の日本に甦ったら、
未来は明るいものとなると思います。
【これぞ気高き武士道精神】死をも恐れない気高きサムライの15の名言
「命か忠義かを選べと問われたなら、自分の命など微塵も惜しくはない」
「仕える主人が厳格過ぎては、家臣の信頼は得られない。だが、主人が信用しすぎると、家臣は手に負えなくなるものだ」
「ひとつごとに悟りを開ければ、どんなことにも精通し多くのことを理解できる」
「武士の心得として最も重要なものは何か?自分の成し遂げたいもののために、一分一秒、魂を賭してそれに向き合うこと」
「武士とは、嵐の真っ只中にあろうとも、ひとり立ちすくせる者でなければ価値がない」
「何の準備もなく突然の暴風雨に曝されたとしても、慌てふためいたり、逃げ隠れるようなことがあってはならない。雨風に心を乱さず、それを受け入れ我が道を行け」
「病に伏せたり悩み事に苦しむとき、真の友が誰なのかが分かる。距離を取ろうとするようなら、それはただの臆病者だ」
「幸せな結婚の秘訣はただひとつ。最初に出会ったときの気持ちを失わないことだ。それができれば、仲たがいの余地は生まれない」
「忠誠心のある武士を見分けるには、主人に忠実な侍をあたることだ。武士とは精神の深部まで主人に使えることができるもの。それは、主人が亡くなっても続くものである」
「知恵とは、賢者に注意を払うことで備わるもの。愛とは、つねに他人のために努力をし、他人に尽くすことから生じるもの。そして、勇気とは状況に関係なく、固く決意し、どんな障壁をも乗り越えた末に手に入れられるもの」
「いまこの瞬間、何を為すべきかよりも重要なことがある。人の一生は瞬間が幾重にも重なった上に成り立っている。そのことさえ理解できれば、武士は情熱を傾けて生きるのみ。何も恐れることはない」
「人の一生など、まばたきひとつで消えゆく蒸気のようなもの。自らの楽しみを見つけ人生を費やすことだ」
「刀を抜いてそれを振るったところで、誰一人あなたと親しく、友となりたいとは思わない。しかし、それを抜かなければ、刀は錆びつき、周囲はあなたを腰抜けと罵る。武士とは、そういうものだ」
「ときが経ち、年老いてきたなら、目の前に迫るものを捉えて隠居生活を始めよう。主人への従属を満たすことができる。誰もが優れていれば、抜きん出るのは容易ではない。だが、数が減れば、卓越の境地に達することも、はるかに容易なものとなる」
「武士は、朝が来るたびに死を覚悟するものだ。朝の静寂のひとときに、自分が雷に打たれ、火にあぶられ、刀や槍で切り裂かれる様を想像する。玄関の一歩外が死界という意識を忘れずにいられるかどうか。これは単なる例え話ではなく、運命に対して準備をする武士の方法だ」
新渡戸稲造 武士道より、厳選名言集
武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である
知識というものは、これを学ぶ者が心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識となる
人間は、それぞれ考え方や、ものの見方が違うのが当然である。その違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切である
武士道は知識を重んじるものではない、重んずるものは行動である
武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする
自分の現在の義務を、完全に尽くす者が一番偉いと思う。そして、自分の現在の義務は何であるかを、はっきり認め得る人は、人生の義務と目的とを理解する道に、進むのであろうと思う。
なにがひとの魂を満たすのだろう。名誉を与えられても、それは空虚なものであることがわかってしまう。富を与えられたとて、飽きてしまう。知識を与えられると、さらに欲しくなる。ただ愛、純粋で無私の愛だけが、この永遠の疑問に答え、この無限の渇望を満たしてくれるのである
生きるべきときは生き、死ぬべきときにのみ死ぬことこそ、真の勇気である
勇気とは恐るべきものと、恐れるべきでないものを識別することだ
勇気がある人というのは、心の落着きが姿にあらわれているものです
平静さは静止の状態での勇気である
勇気と名誉は、ともに価値ある人物のみを平時の友とし、戦場の敵とすべきことを求めている
いかに苦しいことがあっても、ヤケになるのは短慮の極みである。逆境にある人は常に、「もう少しだ」と言って進むといい。やがて必ず前途に光がさしてくる。
王は国家の第一の召使いである
もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である
仁に過ぐれば弱くなる。(愛情が深くなり過ぎれば、情にもろくなる)義に過ぐれば固くなる。(義理や道理も重んじ過ぎれば、融通が利かなくなる)礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。(礼儀も度が過ぎれば、相手に媚びる事になる)智に過ぐれば嘘を吐く。(知識や知恵ばかりでは、平気で嘘をつく人になる)信に過ぐれば損をする。(人を信じ過ぎると、損をする事もある)
他者の感情を尊重することから生まれる謙虚さ、慇懃さが礼の根源である
敗れたる者を慈しみ、おごれる者を挫(くじ)き、平和の道を立てること、これぞ汝の業(わざ)
心が籠もっていなければ礼とは呼べない
武士の約束に証文はいらない
信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である
誠は物の終始なり、誠ならざれば物なし
誠は遠大にして不朽であり、動かずして変化をつくり、それを示すだけで目的を遂げる性質を持っている
正常な良心はそれに対して要求される高さまで上がり、それに対して期待された水準の限界にまでたやすく落ちる
人は誰しもいったん安定した世界に身を置くと、精神もそれにならって俗化し、理想を忘れてだんだん怠惰になっていくようだ
嘘は「心の弱さ」である
ほら吹きと臆病者は、同じ身体の中に宿っている
富の道が名誉の道ではない
正直は徳の中でももっとも若い徳である
武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり
名誉は「境遇から生じるもの」ではなくて、それぞれが自己の役割をまっとうに務めることにあるのだ、ということに気づいているのは、ごくわずかの高徳の人びとだけである
不名誉は樹木の切り口のように、時はこれを消さず、かえってそれを大きくする
恥は、あらゆる徳、立派な行い、善き道徳心の土壌である
あなたが裸になって私を侮辱しても、それが私にとって何だというのか
些細なことで怒るようでは君子に値しない、大義のために憤(おこ)ってこそ正当な怒りである
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽くし人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし
父母は天地のごとく、師君は日月のごとし
もっとも悲しむべきことは、名誉にも打算がつきまとったことである
天が人に大任をあたえようとするとき、まずその心を苦しめ、その筋骨をさいなみ、飢えを知らせ、その人が行おうとしていることを混乱させる。かくして、天は人の心を刺激し、性質を鍛え、その非力を補う
若い人たちは、自分たちは絶対年を取らないとでも思っているのだろうか。人生のうち、青春として知られる時期ほど短いものはない
死を軽蔑するのは勇敢な行為である。だが生きることが死ぬことよりつらい場合、まことの勇気はあえて生きることである
いかに苦しいことがあっても、ヤケになるのは短慮の極みである
自殺願望者は、世界中に恐るべき速さで増加しており、苦痛もなく手間のかからない自殺の方法がはやるのではないか
切腹をやり遂げるには、極限までの冷静さが必要だった
武士道の究極の理想は平和である
人に斬られても、こちらは斬らぬという覚悟だった。ナニ、蚤(のみ)や虱(しらみ)だと思えばいいのサ。肩につかまって、チクリチクリと刺しても、ただ痒いだけだ。生命に関わりはしないよ
日本人の表皮を剥げばサムライが現れる
真の学問は筆記できるものではない。真の学問は行と行との間にある
近代的な教育制度といっても臆病者を英雄にすることはできない
バックボーンたる精神を捨てれば、それに代わるものとして登場するのは、目に見える物質主義となるのは必然である
とにかく物事には明暗の両方面がある。私は光明の方面から見たい。そうすれば、おのずから愉快な念が湧いてくる。
「武士の言葉に二言なし」と言うように、
武士にとっての「言葉」とは、
一言一言に命(言霊)が宿り、軽はずみな発言は、
武士としての弱さと捉えていたようです。
迷いのなさと強さが両立する武士の言葉には
現代社会にも応用できる生き様、生き方の
ヒントがありますね。