忘れたいことは誰にでもあるものですが、
そうはいっても、忘れるのはなかなか難しいこと。
記憶しておかなければならないことを
覚え続けておくことよりも、
忘れなければならないことを忘れられないで
いる問題のほうが、実は遥かに大きいです。
覚えるよりも、実は忘れるほうが
ずっと難しいのだ。
嫌な記憶を残さずに
前向きに生きるためには、
起きてしまった事実を素直に受け入れ
時には「諦めること」も必要なのです。
「諦める」とは「明らかに悟る」こと
「諦める」と聞くと、どちらかというと
否定的な意味合いの方が強いように
感じるのではないでしょうか。
「あきらめる」とは一般的に、
「うまくいく希望や見込みがないと考えて、やめる」
というような意味があります。
実は「諦める」という言葉の「諦」には、
仏教では「明らかに悟る」という意味があるのです。
「明らかに悟る」とは、
『これは自分の力ではどうすることもできない』
という事実を明らかに悟ること、自分で認めることです。
それが、なかなかできないのが
「自信過剰の人」です。
なぜ出来ないかというと
自分の力が足りなかったのだから、
仕方がないという事実を
「明らかに悟ることができない」
「事実をありのままに受け入れることが出来ない」
からです。
そうすると、どうなるかというと
その位置でウジウジ言って、いつまでも
次のステップに進めないのです。
そんな時はプライドがどうだなどと言っていないで、
自分への自信に傷がつくことを恐れず、
事実を認めて諦めてしまう方がいいのです。
ありのままを受け入れてしまうことで
人生を一歩前進させます。
出来ないことを受け入れることは、恥ずかしいことでも
負けを認めることでもない、それはむしろ
賢い戦略的な手段(戦略的撤退)なのです。
予測することは滅多に当たらないことを知る
人は「未来はこうなるだろう」と
予測しながら生きていますが、
その予測が的中することは実はあまりないそうです。
人は絶対に上手くいくと大きな希望を持って行うも
思い通りの結果にはならず、それをやらなければ
よかったと後悔する事が多いのです。
例えば、きっと株が上がる、このプレゼントで喜ぶに
違いないと張り切って行うも、株は下がったり、
プレゼントも喜ばれなかったりと結局後悔することになるように。
だったら、はじめから
「未来の予測なんて滅多に当たるものではない」と、
腹をくくって生きていく方が賢明だという考え方があります。
そうすれば、仮に予測が外れても
ダメージを和らげることができます。
前もって過度な期待をしていなければ、
嫌な思いをしないため、嫌な記憶にならないのです。
自分も相手も平凡で、愚かな人間にすぎない
人はそれぞれ異なった意見や、考え方を持っている
ものなので、そもそも誰の意見が正しく、誰の考えが
間違っているのか、という問題ではありません。
地球上には多くの人間、民族、国家、言語が
あるのですから、当然ですが意見が食い違う人
がいて当たり前なのです。
なので、そもそも周りの人すべてが、
自分の意見に同調してくれるという
期待は最初からすべきでありません。
人間は往々にして、
「自分の意見や考え方が正しく、他の人は間違っている」
という考え方に陥ってしまいがちです。
反対意見を述べられると、
「バカにされた」「いいがかりをつけられた」と
怒りを感じたりするのはそのせいです。
自分が正しいと思えば、相手が間違っていると思えてくる。
自分が聖人だと思えば、相手が愚かな人間に思えてくる。
そう考えてはいけない。自分も相手もともに平凡で愚かな
人間にすぎないのだ − 聖徳太子
と言っているように
自分も相手も平凡で愚かな人間だと認識してこそ、
人と人は「和」の関係を作れます。
相手と対立するのではなく、
共に仲よく協力しあっていくのです。
この心構えと仲良く協力し合う気持ちがあれば
否定的な感情が生まれず、争い事などは起こり得ません。
「嫌なヤツに出会うのも、避けられない運命だ」と諦める
人はこの世で、愛する人と出会う一方、
恨んだり、憎んだりする人にも出会うものです。
仏教の考えでは、
「生きていれば、意地悪なことをされて悩んだり、
憎んだりする人に出会うことになる。それは人間の運命だ」
とあります。
「嫌なヤツになんて会いたくない。あんなヤツとは
つきあいたくない」と避けているから、かえって
苦しみが増し、その人の存在を忘れられなくなるのだそうです。
実はあっさり「しょうがない」と諦めてしまうことが、
嫌なことでも上手に忘れられる秘訣です。
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悪者探しをやめ、「たまたまそうなっただけ」と考える
「私に能力がなかったから、仕事で失敗した」と考えるなど、
人は悪いことが起こると「悪い結果が出た」と
どうしても考えがちです。
能力のない自分のことを、
いつまでもクヨクヨと思い悩んだり、
また一方では、「あの人が悪いから、仕事で失敗した」
と考える人もいます。
しかしそれでは、いつまでたっても明るい未来を
築いていくための前向きな意欲は生まれてきません。
そういう意味でも、失敗した原因を
自分の能力のなさや、他人に求めることは
「一切やめる」ほうが賢明です。
「たまたま今回は、うまくいかなかっただけ」
そう考える方が、「次は、またがんばろう」と
気持ちを切り替えることができます。
悪者探しをしてクヨクヨ悩んだり、
誰かを恨んだりしても全くの無意味。
だとすれば、「たまたま、そうなっただけだ」と
割り切る方が賢いのです。
つまり、自分も他人も悪くないのです。
【嫌なことを忘れるには】事実を素直に受け入れ諦めること まとめ
- 物事を明らかに悟り、時には潔く諦めるという勇気を持つことも必要
- それを受け入れることは恥ずかしいことでも負けを認めることでもない、それは単なる手段だ
- 過剰な期待を持ちながら物事に向かうと、その分上手くいかなかった時のダメージが大きい
- はじめから「未来の予測なんて滅多に当たるものではない」と、潔く腹をくくって生きていく方が賢明
- 人間は往々にして、「自分の意見や考え方が正しく、他の人は間違っている」という考え方に陥ってしまいがち
- 自分も相手も平凡で愚かな人間だと認識し、弱点を補いながら共に協力し合うという考えを持っていれば争い事など起きない
- この世には自分の大好きな人もいれば、大嫌いな人もいて当たり前。たとえ意地悪な事をする人でも「しょうがない」と寛容な心で受け入れることが「明らかに悟ること」すなわち諦めるということ
- そうすることで、その人の存在が自分の中で良い意味で大したことない存在へ変わる
- 上手くいかないことを自分の能力不足や他人のせいだと思ってしまうと、次の前向きな行動へのブレーキになってしまう
- 自分を省する時間は有意義な時間だが、それを過剰に引きずるのは良くないこと
- また他人を恨むことは最も愚かなこと。自分はコントロール出来ても他人はコントロール出来ない
- 自分も他人も悪くないのだ、たまたま今回上手く行かなかっただけなのだ
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嫌なことから逃げずに忘れる方法MindMap